今日は土曜で、カウンセリングの日です。でも、体が動きません。一歩も部屋から出たくありません。部屋というか、布団から出られません。横で待機中のパソコンの電源を入れてちらちら触りながら目を覚ましましたが、ちっとも動けません。なんとか洗顔をして化粧をしますが、行きたくないなぁ、電話しようかなぁ、という気持ちでいっぱいです。自堕落のきわみですね。そんなんでも時間はせまってきますので、なんとか外出して駅まで行きました。が、財布をあけるとお金が入っていません。入れたつもりになっていましたが、片道切符ぶんくらいしかないのです。もう、にっちもさっちも行きません。馬鹿です。行きたくない気持ちがそうさせているんだなぁ、とその時実感しました。その時の気持ちを正直にいうと「あぁ、やった。これでまた駄目になれる・・・」という感じです。以前、試験の時に財布をなくしたときも、たしかこんな気分でした。あぁ、私って一体、どれだけ駄目なんだ。先生曰く「駄目になりたいんでしょう?」・・・そうですね。その通りです。駄目な自分、大好きなんです。駄目で駄目で、もう「あんたバカっ!?」って言われたいんです。ドMです。「あぁ、自分らしいなぁ」ってすっごく思える。不思議なほど心安らぎました。これって、どういうことなんでしょうか。でも、今はすごく安心できていて、落ち着いています。カウンセリングから帰るときのざわざわした気持ちがありません。先生ごめんなさい。私、やっぱり先生と一緒に向上していこうっていうキレイな世界には、自分は行っちゃいけないと思うんです。だからすごく今は、自分らしい気がします。先生、ごめんなさい。別の人のカウンセリングの時間がせまってるのに、電話しちゃって。
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昨日は父の命日でした。父は私が17歳のときに自殺しました。高校三年生の時です。その日は休日で、私は家でだらだらしていました。姉は前日からいなかったような、朝早くに出かけていたか、よく覚えていません。失業中だった父は、前日私を駅まで迎えにきてくれていて、その時出かける約束をしていました。どこかに出かける約束でした。それを覚えてはいたのですが、私は久しぶりの休みにかまけて惰眠をむさぼっていました。自分の部屋で眠っていると、父が「出かけないか」と言っていたような…そんなことをぼんやりと覚えています。それに答えて「いかない」と、私は言ったと思います。
それからしばらくして目覚めました。何か食べたか飲んだかして、パソコンにむかいました。友人が運営しているHPやそのブログ、掲示板などを徘徊するためです。あのころから(今ほどではないけれど)ネット依存の傾向があったと思います。接続の弱い感じのネットでしたが、はじめて手に入れた自分だけの世界って感じでした。ネットの中にいられる時間は最高に幸福な時間でした。
ネットをざぶざぶ泳いでいるうちに、いつの間にか昼近くになっていたと思います。その日、HPを運営している友人から「市街で遊ぶからおいでよ」と誘いを受けていましたが、なんだか行く気になれませんでした。前日に試験の結果か何かを受け取っていて、とてもそんな気分ではなかったのではないかと思います。そのころは正直学校へ行く気も失せていて、でもずるずると通っていたという感じだったのです。クラス替えの新しい仲間になじめなかったというのが大きかったです。でも、いじめられているとかはぶられているとか、そんなことはありませんでした。馴染めなかった、というのが大きかったです。自分から誰かに声をかけるということができなかったし、一人で平気なふりを懸命にやっていましたが、とてもそんな精神状態ではなかったと思います。今から考えても、何がそんなに嫌だったのかわからないところが多いです。ただ、自分が自分で、すごく嫌になっていたのは覚えています。なぜ自分がここにいて、なぜこんなことをやっているのだか、さっぱりわからなくなっていました。やっぱり受験、というのが大きかったかなぁとも思いますが、わかりません。
ネットを徘徊してだらだらしていると、父が作業着に着替えてやってきました。あの日、パソコンの前でふんぞり返っている私を見て、父はどんなことを思っていたんだろうなぁ…「ちょっと行ってくるから」そう言って父は出かけていきました。母も祖母も祖父も、野良仕事に出かけていました。我が家は、外の仕事が大好きな一家なのです。それで、父もそれにならって外の仕事をするのだろうと思いました。私は「わかった」と言って、たいした言葉も返さずに父を見送りました。少し珍しいかなぁ、お父さんが一人で野良仕事に行こうなんて・・・と思いましたが、ほとんど気にしませんでした。父は帽子をかぶって、首にタオルをまいて、濃紺の作業着を着ていました。
それからしばらくして祖母と母が帰ってきました。母は午後から予定があるらしく(何かの会合だったと思います)湯を浴びて服を着替えていました。私は祖母と一緒に洗濯物を取り込んでいました。「さぁお昼は素麺にしよう」と祖母が言っていた気がします。
しばらくして、「父も祖父も帰ってこないので母が呼びに行った」と祖母から聞きました。それで、また時間がたちました。三人とも帰ってきません。何かあったのか?と胸騒ぎがしはじめたのはこの時です。祖母にちょっと行ってくると言って、自転車で山へむかいました。あの時は恐かった・・・ただの胸騒ぎではなかったと思います。今にして思えば、何かしら感じていたんだと思いますが、もう遅かった、というのが正しいでしょうか。砂利道を必死で自転車をこいで山へ行きました。自転車の入るところギリギリまで行って、その後は走って山を登りました。昔、稲を作っていた、おどろおどろしい山です。機械が入らないため、手作業で稲を植えて刈っていた場所です。山へ入る途中で、何かが聞こえてきました。獣の声のような、誰かの叫び声です。「あー」とも「きゃー」とも聞こえます。最初は一体何なのかわかりませんでした。その声を聞きながら山を登って登って、何度も「お父さん」「お母さん」「じいちゃん」と叫びました。でも返事はありません。山はおそろしく静かで、ただひたすらに「あー」「きゃー」という声だけ、遠くから聞こえていました。それは子供のころ筍を取りにいった、裏の山のほうから聞こえているらしいとわかりました。そしてそれが、どうやら母の声であるらしいとも感じました。恐くなって、身震いしたのを覚えています。
それから山を駆け降りて、入り口に立ちました。裏の山へ行くため、この先の舗装された道をゆくか、一瞬ですがためらいました。そこへ祖父が軽トラックに乗ってやってきました。慌てて車に駆け寄って事情をきくと、祖父は首を手で切るような仕草をしました。そして「お父さん、駄目よ」と言いました。その時、私の中で何かが一つつながりました。今、父が危険で、側に母がいる。だから母が叫んでいる。
私は走り出しました。暑い暑い日で、砂が舞い上がっていました。走って走って、裏の山へと続くきりたった崖道につきました。母の声が近くなっています。あの時はじめて「頭がまわる」という感覚を体験しました。眩暈です。暑いはずなのに、体が凍っていくようでした。一歩登るたびに足がすくみました。一歩登るたびに母の声が近くなります。「だいじょうぶ」「だいじょうぶ」無意識的に自分にいいきかせながら、私は登りました。登りきると、鉄塔がありました。
そこには、父が横たわっていました。側で母が、大声で叫んでいました。恐くて恐くて、それでも私は側へ行きました。父は蒼白い顔で仰向けになっていました。母は完全に自分を失っていて、私が側によってもぜんぜん気付かない、という感じでした。そこから記憶が曖昧です。母をなだめるように座らせた記憶があります。父に向かって何度も何度も名前を呼んだ記憶もあります。母が私に「ごめんね」と言った記憶もあります。妙に自分は冷静だった記憶もあります。母が「どうするのよ」「おしまいよ」とめちゃくちゃに叫んでいたのも覚えています。私はもう、何が何だかという感じでしたが、祖父が救急車を呼びに行ったことは理解していたので、おそらく母が最初に見つけておかしくなってしまった、そして祖父がやってきて降ろした、そして母を残して祖父は家に行った、という一連の流れが思い浮かびました。私がついたころには、父は完全に動かなくなっていました。父の首筋には、青紫色の痕が、くっきりとついていました。
蘇生術なども、全然無知でした。テレビで人工呼吸のやりかたなどを見たことがあった程度でしたし、もし知っていたとして、実際にあの状況でできたかといえば・・・おそらくNOです。父が死んでいく、母が狂っていく、あの状況で私は、昔からの癖ですね、心を殺しました。抹殺です。この状況は自分のことではない、と一たん思い込みました、するとどうでしょうか。今までの恐さ、手足の震え、悪寒がすっと消えて、ただひたすら父の名前を呼んで体を揺することだけに集中できました。私だって自分を殺さなければ、確実に母のように狂っていたことでしょう。それでも、ここで私が狂って何になるでしょう。私は真剣に現実から目を背け、必死に父の名前を呼びました。心の底では「なんてことはない、お父さんは死ぬんだなぁ」と思っていたというのに。その感覚にすら蓋をして自分をまた殺しました。殺して殺して、あの日私は何人自分を殺したかわかりません。
やがてサイレンが響いてきました。救急車がきたのです。救助の人が担架を持ってやってきました。祖母も来ました。姉も来たような気がしますが、よく覚えていません。姉はいなかったかもしれません。
心配蘇生か何かしたか?と訊かれたので「いいえ」と答えました。救助の人は父の上着を脱がせ、何か確認した後「乗せましょう」と言いました。「助かりますか」と私は訊いたと思います。その時、救助の人は何も言いませんでした。どこかで「やっぱりな」と思った気がします。担架に父を乗せる作業も手伝いました。男三人と私で持ち上げたのにも関わらず、ひどく父は重かったです。
それから私も付き添って担架を運びました。救急車に乗せて、乗り込もうとしたのか、それともしなかったのか・・・私は結局乗りませんでした。祖父が乗ったのか、姉が乗ったのか、記憶が曖昧です。気付いたら車を見送っていました。そのあとまた山に登って、立ち上がれないという母に付き添うことになりました。その時、報道のカメラの人がいたのを覚えています。なんなんだこの人は、と無性に苛立ったのを覚えています。その人にいろいろなことを言われた気がしますが、何も心に残らず覚えていません。そのあと、母をささえて山を降りました。母の体もひどく重かったです。母はぶつぶつ何かを言っていました。心配して駆けつけてくれた近所の人が下にいるのが見えると、母は「私のせいだと思っているんだろう…」と言いながら、彼らを睨んでいました。その母の肩を支えている自分。なんだか、やるせなくなりました。あの時はもう何がなんだかという感じだったのですが、今考えると「こんなときまで、自分のことか・・・」という、ある種の憤りと諦めの気持ちだったんだと思います。
それから先は、病院に行くまで母につきっきりでした。親戚の誰かの車に乗せられていましたが、よくわかりません。ただ、母をなぐさめようという気もちは全然わいてこなかったです。自分の感情で手一ぱいでした。
病院について外来の入り口から入りました。その時には父は死んでいたらしいです。
知らせを聞いて、いろんな人が駆けつけていました。誰がいたんだか、はっきりとはわかりませんが、誰も彼も、なんだか誰なんだか、生きているんだか死んでいるんだかわかりませんでした。誰に何かを言われても、無性に腹が立ちました。父がこんなことになって、なぜこの人たちの生活は続いていくんだろうか、という気持ちです。その時の私の時間は、完全に止まっていました。心を殺した分の怒りが、ただただ流れ出しているという感覚でした。
個室に入ったところで、医者に呼ばれました。「何時ごろみつけた?」そんな簡単な質問だけだったので、この時はじめて自分自身で『父が死んだ』ということを実感しました。手許の書類に私が答えた時間を記入する医者。私はじっとその書類を見ました。「縊死」と書かれていました。はっきり覚えています。「縊」という文字が気になって、落ち着いてから広辞苑で調べて「ははぁん」と思ったのでした。
母は車椅子に乗せられていました。まるで曖昧なのですが、病院についてからの母の行動はわかりません。医者に何か訴えていましたし、医者も困ったようにしていました。その時も、何かむかむかした気分でした。
「お父さんに会われますか?」しばらくしてそう言われました。それで、別の場所に安置された父を見ました。父の鼻には何か詰め物がしてあって、それが印象的でした。母は父に会ったのでしょうか?車椅子に乗せられて見に行っていたような気もしますし、そうでない気もします。
どのくらいあの外来にいたのか、今では全然覚えていません。一度時計をみて、二時すぎくらいな気がしたのを覚えています。朝、何か軽く食べてから何も口にしていませんでした。腹のあたりがムカムカしていたのは、空腹のためだったのかもしれません。
それから父を車に乗せるために、鉄製のベッドに父を乗せてエレベーターで地下へ降りました。地下の駐車場に真っ黒の大型の車があって、その後ろに父を乗せたような気がします。私は助手席に座りました。それからそのまま家に向かいました。
記憶が断片的なのですが、警察の人が来ていたような気がするし、私は必死に何かを書き始めた気がします。泣いていたような気がするし、でもそうではなかったような気もします。
父は座敷に安置されました。
やがて姉と母が帰ってきました。夜は、その隣の部屋で、くたくたになって眠りました。いろんな人がやってきて、父の側に座っていったような気がします。ふらふらで、もう何がなんだかという感じでした。お父さんが死んだ、という事実ははっきりわかっていた。でも、私は私を殺していたし、疲れてた。もう二度と、自分を生き返らせたくないと思いました。
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最近、殺したはずの自分が出てきました。そいつが暴れて困ります。今日カウンセリングをキャンセルしたのは、暴れる自分を押さえるため。暴れている自分と付き合うのに、疲れた。また、戻ろう、閉じ込めた自分に。
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